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神戸地方裁判所 昭和63年(ワ)460号 判決

原告

齋藤繁野

ほか二名

被告

清水進

主文

一  被告は、原告齋藤繁野に対し、金五三一万三四九七円及び内金四八三万三四九七円に対する昭和五九年三月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告齋藤一夫、同齋藤富士夫に対し、各金二六五万六七四八円及び各内金二四一万六七四八円に対する昭和五九年三月五日から支払ずみまで各年五分の割合による金員を、各支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告らの、その一を被告の、各負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

以下、「原告齋藤繁野」を「原告繁野」と、「原告齋藤一夫」を「原告一夫」と、「原告齋藤富士夫」を「原告富士夫」と、各略称する。

第一請求

被告は、原告繁野に対し、金一一〇〇万円及び内金一〇〇〇万円に対する昭和五九年三月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告一夫、同富士夫に対し、各金五五〇万円及び各内金五〇〇万円に対する昭和五九年三月五日から支払ずみまで各年五分の割合による金員を、各支払え。

第二事案の概要

本件は、普通貨物自動車と衝突し負傷した原動機付自転車の運転者が、右受傷の症状固定後もなお治療を継続していたところ死亡したため、その相続人らが、被相続人である右原動機付自転車運転者の右負傷及び死亡による損害を、右普通貨物自動車の保有者兼運転者に対し、自賠法三条に基づき請求した事件である。

一  争いのない事実

1  別紙事故目録記載の交通事故(以下、本件事故という。)の発生。

2  齋藤一郎(以下、亡一郎という。)は、本件事故により、顔面・腰部打撲傷、頸椎捻挫、両上肢不全麻痺の傷害を受けた。

3  亡一郎の本件受傷は、昭和六一年に症状固定し、後遺障害等級一二級該当の後遺障害が、残存した。

4  亡一郎は、昭和六二年九月一九日、死亡した。

5  同人の本件後遺障害による労働能力喪失は、右死亡日まで及んだ。

6  亡一郎は、本件事故後、自賠責保険金金一六〇万円(後遺障害慰謝料分)を受領した。

二  争点

1  亡一郎の本件受傷中頸髄不全麻痺の存否及び同人の本件受傷の症状固定時期。

2  本件事故と亡一郎の死亡との間の相当因果関係の存否。

3  亡一郎の本件損害の具体的内容及びその金額。(弁護士費用を含む。)

なお、原告らの本訴各請求は、亡一郎の本件総損害の一部請求である。

4  過失相殺の成否

被告の主張

本件事故は、本件交差点での所謂出合頭衝突事故であるから、亡一郎の方にも、自車前方及び左方への安全確認を怠つた過失があつた。

原告らの主張

本件事故は、被告が右事故直前自車進路の一時停止の標識を無視し、一時停止をしなかつたことによつて発生したものである。

したがつて、亡一郎の方に、右事故発生に対する過失は、存在しない。

5  被告主張の本件損害の填補額金一九六五万八三七三円中前記争いのない金一六〇万円を除いた残金一八〇五万八三七三円の存否。

第三争点に対する判断

一  亡一郎の本件受傷中頸髄不全麻痺の存否及び同人の本件受傷の症状固定時期

1  証拠(甲一、二、一〇、一一、一六、一七の一ないし三、乙一、一一、原告繁野本人。)によれば、次の各事実が認められる。

(一) 原告繁野は、亡一郎の妻、原告一夫、同富士夫は、亡一郎の子らである。

(二) 亡一郎の昭和五九年三月五日から昭和六一年七月二五日までの治療状況は、次のとおりである。

(1) 飯尾病院

(イ) 右病院における亡一郎の本件受傷病名は、両上肢不全麻痺、頸椎捻挫傷、顔面・腰部打撲傷であつた。

(ロ) 昭和五九年三月五日から昭和六一年七月五日まで入院。(入院期間四八八日)

昭和六一年七月六日から同年一二月二三日まで通院。(実治療日数五一日)

(2) 神戸市立西市民病院

(イ) 右病院における亡一郎の本件受傷病名は、頸椎後縦靱帯骨化症であつた。

(ロ) 昭和六〇年一〇月二八日から昭和六一年七月二五日まで通院。(実治療日数五〇日)

昭和六一年一月六日から同年四月二九日まで入院。

(入院期間一一四日)

(三) 亡一郎が飯尾病院から神戸市立西市民病院へ転院したのは、原告繁野が、保険会社の方より、飯尾病院ではなく神戸市立西市民病院か労災病院に早く行つて検査を受けて欲しいという要請を受けたことと、原告繁野自身、亡一郎の症状を少しでも改善させたいとの強い希望を持つたためであつた。

(四) 亡一郎は、昭和六〇年一〇月二八日、神戸市立西市民病院で診察を受けたが、右病院整形外科医師安藤博は、亡一郎の症状を頸椎後縦靱帯骨化症と診断し、脊髄の神経が圧迫されているのでもつと早い時期に手術すべきであつたと判断し、頸椎椎間縦割拡大の手術を受けるよう勧告した。

亡一郎及び原告繁野は、右医師の右勧告にしたがい、右病院で右手術を受ける決心をして、前記のとおり昭和六一年一月六日、右病院へ入院した。

そして、亡一郎は、同月一六日、右病院において、右手術(ただし、施行手術名は、頸椎脊椎管拡大術。)を受けた。

(五) 右医師安藤博は、昭和六一年七月二五日、亡一郎の右症状は固定したと判断した。

(六)(1) 亡一郎は、同年一二月一一日、神戸労災病院に赴き、医師前之園三郎の診察を受けた。

右医師は、その際、亡一郎から、同人の本件事故前後の健康状態、右事故後の治療内容等を聴き、レントゲン写真検査をしたものの、専ら同人の主訴に基づき、同日一日で、同人の現症状を頸髄不全麻痺と診断した。

(2) しかして、右医師は、右症状と本件事故との間の因果関係につき、次のとおり述べている。

右医師において、亡一郎の負傷前、負傷後入院経過中の症状を把握していないが、負傷後に右症状が発現したとみられるならば因果関係があるとみられる。又、既存症状の増悪ともみられる。

2  右認定各事実に基づくと、原告らの主張にかかる頸髄不全麻痺は、亡一郎の本件事故直後における受傷に含まれておらず、右症状は、亡一郎の右事故による受傷(前記のとおり当事者間に争いのない受傷名)が昭和六一年七月二五日症状固定した後、残存後遺障害が増悪して発現したものと推認するのが相当である。

なお、右認定各事実に基づけば、亡一郎の神戸市立西市民病院における治療と本件事故との間の相当因果関係の存在は、これを肯認すべきである。

二  本件事故と亡一郎の死亡との間の相当因果関係の存否

1  亡一郎の本件事故直後における受傷名、右受傷の症状固定時における傷病名、同人の昭和六一年一二月一一日当時の症病名は、前記認定のとおりであり、同人が昭和六二年九月一九日死亡したことは、前記のとおり当事者間に争いがない。

2  証拠(甲一二、一八の一、二)によれば、次の各事実が認められる。

(一) 亡一郎は、昭和六二年五月二九日、神戸徳洲会病院で診断を受けたが、その際、四肢不全麻痺、左肋骨々折の疑、大動脈弁閉鎖不全、心不全、高血圧症と診断され、次いで、右大腿骨転子間骨折(ただし、右傷病は、亡一郎が後記入院中転倒して発生。)の診断名が同年七月一日に、更に、臀部褥創の診断名が同月一四日に、それぞれ追加された。

(二) 亡一郎は、昭和六二年五月二九日から同年六月二二日まで右病院へ通院(実治療日数九日)し、同月二三日から同年八月一一日まで入院した。

そして、亡一郎は、同年九月一八日未明、食思不振・嘔吐で、右病院へ救急搬入され入院治療を受けたが、同月一九日午後五時二五分死亡した。

(三) 亡一郎の直接死因は敗血症で、右死因の原因は尿路感染症であつた。そして、同人のその他の身体状況は高血圧症、脳動脈硬化症、陳旧性心筋梗塞であつた。

なお、亡一郎の最終診断名は、高血圧症、大動脈弁閉鎖不全、4弁逆流、低血糖症(来院時)、尿路感染症であつた。

3  原告らは、本件事故と亡一郎の本件死亡との間には相当因果関係ありと主張する。

しかしながら、右認定各事実、とり分け、亡一郎の本件死因及びそれに関連する各事実に照らすと、本件事故と亡一郎の本件死亡との間には、事実的因果関係の存在はともかく、法的評価としての相当因果関係の存在は、未だこれを肯認し得ない。

よつて、原告らの右主張は、理由がなく採用できない。

三  亡一郎の本件損害の具体的内容及びその金額

1  近親者の付添費 金五七万八〇〇〇円

(一) 亡一郎の本件受傷名、その治療経過、右受傷の症状固定時期、右症状固定後の症病名を含む治療状況、本件事故と同人の死亡との間に相当因果関係の存在が肯認し得ないこと等は、前記認定のとおりである。

しかして、亡一郎が本件症状固定後死亡するまでの間労働能力を喪失していたことは、前記のとおり当事者間に争いがない。

(二)(1) 入院付添分 金三七万六〇〇〇円

(イ) 原告が本件受傷治療のため飯尾病院へ四八八日間、神戸市立西市民病院へ一一四日間、合計六〇二日間入院したことは、前記認定のとおりである。

(ロ) 証拠(甲二、一六、一七の三、原告繁野本人。)によれば、亡一郎は本件事故当時六七歳(大正六年三月三日生)であつたこと、飯尾病院の入院中亡一郎の付添いは専門の付添人がこれに当たり、専門の付添人が来れない時原告繁野が付添いに当たつたこと、神戸市立西市民病院は完全看護制をとつていて近親者が付添うには神戸市長の証明を要すること、原告らにおいて右証明を得られなかつたこと、右病院が発行した昭和六一年七月一日付診断書でも、付添看護関係欄に斜線が引かれていることが認められる。

(ハ) 右認定各事実に基づけば、亡一郎が近親者付添いを要したのは、同人が飯尾病院に入院していた四八八日間の内専門の付添人が来なかつた時のみということになり、一方証拠(乙三の一ないし三、四の一ないし四、一二)によれば、右認定にかかる、右入院期間中専門の付添人が来なかつた時は、昭和五九年五月五日から同月九日までの五日間、昭和六一年二月一日から同年四月三〇日までの八九日間合計九四日間であつたことが認められる。

(ニ) 右認定各事実から、本件事故と相当因果関係に立つ損害(以下、本件損害という。)としての近親者入院付添費は、一日当たり金四〇〇〇円の割合で九四日分合計金三七万六〇〇〇円と認める。

(2) 通院付添分 金二〇万二〇〇〇円

(イ) 亡一郎が飯尾病院へ実治療日数五一日、神戸市立西市民病院へ実治療日数五〇日、合計一〇一日通院したことは、前記認定のとおりである。

(ロ) 証拠(甲八、九、一六、一七の二、原告繁野本人。)によれば、亡一郎は、右通院中、同人の当時の身体的状況から、原告繁野の付添いなしでは、単独で通院できなかつたことが認められる。

(ハ) 右認定各事実に基づき、本件損害としての近親者の通院付添費は、一日当たり金二〇〇〇円の割合で一〇一日分金二〇万二〇〇〇円と認める。

2  雑費 金六〇万二〇〇〇円

(一) 入院雑費 金六〇万二〇〇〇円

亡一郎の本件入院期間が合計六〇二日であることは前記認定のとおりであるところ、本件損害としての入院雑費は、一日当たり金一〇〇〇円の割合で六〇二日分金六〇万二〇〇〇円と認める。

(二) その他の諸雑費

原告らは、その他の諸雑費として金一〇万六七〇五円を主張請求しているが、右請求諸雑費と本件事故との間の相当因果関係を認めるに足りる証拠がない。

3  通院交通費 金一四万三四二〇円

(一) 亡一郎の本件実治療日数が合計一〇一日であつたこと、同人が原告繁野の付添いなしでは通院できなかつたことは、前記認定のとおりである。

(二) 証拠(原告繁野本人)によれば、亡一郎の右通院は、当時の同人の身体的状況から、タクシーの利用なしではできなかつたこと、右タクシー代は、一日当たり金一四二〇円であつたことが認められる。

(三) 右認定各事実に基づき、本件損害としての通院交通費は、金一四万三四二〇円と認める。

4  葬祭費

原告らは、亡一郎の葬祭費金一〇〇万円も本件損害であるとして主張請求している。

しかしながら、本件事故と亡一郎の本件死亡との間に相当因果関係の存在を肯認し得ないことは、前記認定説示のとおりであるから、原告ら主張の右葬祭費も又、本件損害と認め得ない。

5  休業損害 金八七三万〇八七三円

(一) 亡一郎が本件事故当時六七歳であつたこと、同人が右事故日の昭和五九年三月五日から本件症状固定日の昭和六一年七月二五日まで(合計八七三日)本件受傷の治療に当たつたことは、前記認定のとおりである。

(二) 証拠(甲一三ないし一五、証人水杉、原告繁野本人。)によると、亡一郎は、昭和四六年以前から調理士の免許を有する者であつたが、本件事故当時、一日の内午前八時から午後三時まで、明石市所在樽屋高雄商店に、午後六時から午後一〇時まで神戸市中央区元町所在水杉商店割烹白鶴に、それぞれ調理士として勤務(前者における勤務は、正規の従業員。)し、右樽屋高雄商店からは年間金二一六万〇二六八円(一か月平均金一八万〇〇二二円。円未満四捨五入。以下同じ。)の、右割烹白鶴からは年間金一四四万円(一か月平均金一二万円)の、各収入を得ていたこと、亡一郎は、本件受傷治療期間中右業務に全く就くことができず、したがつて、無収入であつたことが認められる。

(三) 右認定各事実を基礎として、亡一郎の本件損害としての休業損害を算定すると、金八七三万〇八七三円となる。

〔(18万0022円+12万円)÷30〕×873≒873万0873円

6  本件後遺障害による逸失利益 金三二一万八四五九円

(一) 亡一郎の本件受傷の症状固定により障害等級一二級該当の後遺障害が残存したこと、同人が昭和六二年九月一九日死亡したこと、同人の本件後遺障害による労働能力の喪失が同人の右死亡時まで及んだことは、前記のとおり当事者間に争いがなく、同人の本件受傷の症状固定日が昭和六一年七月二五日であること、本件事故と同人の右死亡との間に相当因果関係の存在が肯認し得ないこと、同人が本件事故当時一か月平均金三〇万〇〇二二円の収入を得ていたことは、前記認定のとおりである。

(二) 原告らは、本件事故と亡一郎の本件死亡との間に相当因果関係の存在が肯認できない場合には、同人の生存中の逸失利益を請求する旨主張しているので、右主張及び前記当事者間に争いのない同人の本件労働能力喪失期間を総合すると、亡一郎の本件後遺障害による労働能力喪失期間は、昭和六一年七月二五日から昭和六二年九月一九日までの一四か月(三〇日未満切捨て)ということになる。

(三)(1) 証拠(甲一一、原告繁野本人。)によれば、亡一郎は、本件後遺障害のため、両上肢、特に両手指の巧綴運動に障害があり、食事時に箸を使うことができず、歩行もゆつくり、しかも常時ステツキを使用してしかできず、勿論走ることは不可能で、階段の昇降も不能であつたこと、したがつて、同人は、本件症状固定後も就労し得なかつたことが認められる。

(2) 右認定各事実に、前記認定にかかる、亡一郎の本件症状固定時の年齢、同人の本件事故前の就労状況等を総合すると、同人は、本件後遺障害により労働能力を喪失し、しかも、そのために経済的損失、即ち実損を被つていたところ、右労働能力の喪失率は、七九パーセント相当と認めるのが相当である。

(なお、亡一郎の本件後遺障害の該当障害等級は、前記のとおり当事者間に争いがないが、右該当障害等級は、本件後遺障害による労働能力喪失率を認定するに当たり、当裁判所を拘束するものでない。)

(四) 右認定各事実を基礎として、亡一郎の本件後遺障害による逸失利益の現価額をホフマン式計算法にしたがつて算定すると、金三二一万八四五九円となる。(月別ホフマン式係数は、一三・五七九。)

30万0022円×0.79×13.579≒321万8459円

7  慰謝料 金八〇〇万円

前記認定の本件全事実関係に基づき、亡一郎の本件慰謝料は金八〇〇万円と認めるのが相当である。

8  亡一郎の右認定損害の合計額 金二一二七万二七五二円

四  過失相殺の成否

1  亡一郎車、被告車の本件事故直前における進行経路は、前記のとおり当事者間に争いがない。

2  証拠(被告本人)によれば、次の各事実が認められる。

(一) 本件事故現場は、幅員がほぼ等しい東西道路と南北道路とが交差する、ほぼ十字型の交差点で、信号機は設置されていない。

右東西道路は西方から東方への、右南北道路は北方から南方への、各一方通行で、右交差点附近の制限速度は、時速四〇キロメートルである。

しかして、右交差点南北道路の北側入口附近には、一時停止の標識が設置されている。

右交差点東西道路西側入口附近から左右方向への見通しは、必ずしも良好とはいえない。

(二) 亡一郎車は、本件事故直前、時速約三〇キロメートルと推認される速度で、右交差点内へ進入し、折から、被告車が、右一時停止の標識があるのに一時停止せず時速約三〇キロメートルの速度で右交差点内に進入して来たため、右両車両が、右交差点内で衝突し、本件事故が発生した。

(三)(1) 車両が交通整理の行われていない交差点で左右の見通しがきかない交差点に進入しようとする場合において、その進路が幅員のあまり広くない道路で、これと交差する道路の幅員もほぼ等しいようなときには、交差する道路の方に一時停止の標識があつても、徐行義務は免除されないと解するのが相当である。(最高裁昭和四三年七月一六日第三小法廷判決刑集二二巻七号八一三頁参照。)

これを本件についてみるに、前記認定各事実に基づけば、本件事故の発生には、亡一郎の徐行義務違反の過失も寄与しているというのが相当である。

したがつて、同人の右過失は、同人の本件損害額を算定するに当たり斟酌するのが相当である。

(2) しかして、亡一郎の右過失割合は、前記認定各事実を総合し、全体に対し、一〇パーセントと認めるのが相当である。

(四) ところで、過失相殺は、被害者の総損害を対象に行うのが紛争の一回的解決に適合すると解するのが相当であるところ、亡一郎の前記認定損害費目合計金二一二七万二七五二円の外に、被告の主張にそう証拠(乙三の一ないし三、四の一ないし一一、五の一ないし八、六の一ないし五、七の一ないし三、八の一ないし五、九、一〇の各一ないし三、一二。)によれば、被告側で本件事故後亡一郎の本件治療費合計金六三四万六三二九円、専門付添人の付添費合計金四九六万四六六〇円合計金一一三一万〇九八九円の既払分があることが認められるので、亡一郎の本件損害総額は右金二一二七万二七五二円と右一一三一万〇九八九円の合計金三二五八万三七四一円となる。

そこで、右金三二五八万三七四一円を前記過失割合で所謂過失相殺すると、その後に亡一郎が被告に請求し得る右損害は、金二九三二万五三六七円となる。

五  損害の填補

1(一)  亡一郎が本件事故後自賠責保険金一六〇万円(後遺障害慰謝料分)を受領したことは、前記のとおり当事者間に争いがない。

(二)  証拠(乙一二)によれば、被告側は本件事故後亡一郎の本件損害に関し合計金一八〇五万八三七三円を支払つたことが認められる。

2  右認定によれば、亡一郎が本件損害に関し受領した右合計金一九六五万八三七三円は、本件損害の填補として、同人の前記認定にかかる本件損害金二九三二万五三六七円から控除されるべきである。

しかして、右控除後の右損害額は、金九六六万六九九四円となる。

六  原告らの相続

1  原告繁野が亡一郎の妻、原告一夫、同富士夫が亡一郎の子らであることは、前記認定のとおりである。

2  右認定事実に基づけば、原告らは、亡一郎の相続人として、その法定相続分にしたがい、亡一郎の前記認定金九六六万六九九四円の損害賠償請求権を相続したことが認められるところ、各自が相続した右損害賠償請求権の金額は、次のとおりである。

原告繁野 金四八三万三四九七円

その余の原告ら 各金二四一万六七四八円

(ただし、円未満切捨て。)

七  弁護士費用 原告繁野につき金四八万円

その余の原告らにつき各金二四万円

前記認定の本件全事実関係に基づき、本件損害としての弁護士費用は、原告繁野につき金四八万円、その余の原告らにつき各金二四万円と認めるのが相当である。

(裁判官 鳥飼英助)

事故目録

一 日時 昭和五九年三月五日午後四時一五分頃

二 場所 神戸市兵庫区中道通六丁目三番五号先交差点内

三 加害(被告)車 被告保有兼運転の普通貨物自動車

四 被害車 齋藤一郎運転の原動機付自転車

五 事故の態様 齋藤一郎が、本件事故直前、被害車を運転して右交差点の東西道路を西方から東方へ向け進行して右交差点内に進入したところ、折から、被告が、右事故直前、被告車を運転して右交差点の南北道路を北方から南方に向け進行し、右交差点北側入口附近に一時停止の標識が設置されているのにこれにしたがわず、一時停止せずに右交差点内に進入した。そのため、右被害車と被告車が、右交差点内で衝突した。

(以下、右被害車を亡一郎車という。)

以上

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